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良き参謀とは、よく歩きよく話す。中目黒総合事務所 税理士 廣岡実
2015-04-16

長いことありがとう

私はモノ心ついたときから「陸の乗り物」が好きで、まずは自動車(のおもちゃ)から始まり、すぐに鉄道に移行。当時は鉄道の趣味というのはレベルが高く、特に鉄道模型は結構、高価なモノで、子どもがおいそれと手を出せる代物ではなかった。だから、みんな厚紙で作ったモノだ。工作力のない子どもは、ガタガタな塗装で、内装まで作るなんて狂気の沙汰であった。

小学生の高学年になると、今ではポピュラーであり、門外漢には邪魔モノのように思われるが、出たての「コダックインスタントカメラ」なるものをやっとの思いで買ってもらって、東京圏の鉄道を撮りまくった。

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今では信じられないが、昔の品川駅近くの車両基地の地下道からの職員通用口は柵や扉なんかなくて、子どもがそこを通ると、あら大変、車両基地の真ん中、線路の間際にでてしまう。

ほんとうに目の前を電気機関車が結構なスピードで通り過ぎる様は大迫力であった。車両基地の職員ものんびりしていた時代で、「なんだ?鉄道(電車ではない、あくまでも「鉄道」である)が好きなのか?」と、夜の仕業に向けて清掃中のブルートレインの車内を案内してくれたり、寝台に寝かせてくれたりした。

母親が富山県の出身だったこともあって、盆暮れに8時間も掛けて上野から旅立ったことも何度もあった。当時は貧乏だったので、乗るのは決まって、客車の「夜行急行」の自由席。当時はこの自由席は大混雑で発車の何時間も前から行列を作って並んだモノだ。この客車の座席も90度に近い背もたれで、これでほとんど寝ないまま1夜を過ごして、遙か北陸まで行くのである。急行列車の名前は「白山」か「越前」。いずれも、ずいぶんと前に廃止になってしまった。ちなみに、当時の客車の扉は「手動」。といれも「ぼっとんトイレ」で、「停車中はトイレを使用しないでください」と良く、アナウンスがあった。停車中にうんこでも使用モノなら、モノがそのまま駅の線路の脇に置かれたままとなるのである。まあ、逆に言えば、走行中は汚物をまき散らしながら走っていたと言うことだ。

このように、私の「鉄男」の原点は、「電車」ではなく「機関車が引っ張る客車列車」。大学になって一人旅に出るときも必ず、旅立ちは「夜行列車」。少し余裕ができてくると、「寝台特急」のブルートレイン。いい旅立ちであった。

そして・・・、その「客車列車」も先だってのダイヤ改正で、定期運用が全て廃止となってしまった。私のような時代を過ごした「鉄男」にとって、これは一大事であって、私も「一つの時代が終わった・・・」と、自らの「鉄道趣味人生」も終わった気がする。長いこと購読してきた「鉄道ファン」や「鉄道ジャーナル」それに「鉄道ピクトリアル」も、習慣のように書店で手に取るが、購入する気はしない。

ところで、鉄道の世界は「漢字表現」の世界であった。蒸気機関車に至ってはそのほとんどが漢字表現の世界で、「力行」「惰行」「炭水車」・・・。「絶気運転」なんて壮絶は印象のある運転状態の表現もある。国鉄の正式名称も「日本国有鉄道」。なんと響きの厳かなこと。これが「ジャパンレール」なんて言われたら、とっても薄っぺらく感じてしまう。

しかし・・・やはり、終わってしまったのである。私の心の中で、空け放した緩急車両の最後尾の頼りなさげな赤いテールライトが遠ざかっていくのである。

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